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#CAR 想いでの車〜セドリック05

 今日、と言っても日付変更線を通過しているので正確には昨日だが、久しぶりに国道407を狭山から東松山へ向かって北上した。鶴ヶ島へ入る、少し手前の左側、松並木の向こう側に、昔から初代セドリックを置いてあるSSがある。このルートを昼間に走るのは5〜6年ぶり。今もあるかな、と思ってチラッと横目で見たら、はたしてSSもクルマも健在だった。このセドリックは、SSのオーナーのクルマ(息子さんに代替わりしているかもしれないが)。
 セドリックも気になる存在だが、実はこのSSにはもうひとつ立ち寄りたくなる理由があって、それは、オヤジさん曰く「混ぜモノがない軽油を売っている」ことなのである。灯油などもってのほか、他の添加剤なども入っていない、『純』な軽油なのだそうだ。数年前、都合10年ほどディーゼル車にも乗っていたので、『純』な軽油欲しさに、機会があればそこで給油した。そのころは、確か日石だったと思う。今はエネオスだ。今も、『純』がどうか、ディーゼルに乗らなくなってしまったので確かめるすべはない。
 その、セドリックは、スカイブルーである。オヤジさんに聞いた限りでは、いちどリペイントしているらしい。確か、昔はもう1台あったと記憶しているが・・。
 スカイブルーのセドリックは、当時、はたして純正色であったかどうか不明だが、珍しいボディカラーだと思う。ウチで乗っていたのは、黒か茄子紺だったと記憶している。町で見かけたセドリックは大半がそれらの色だった。あとは、エンジとか濃いグリーン。
 大阪に連れて行ってもらったとき(父の実家が大阪だった)、あのくすんだもえぎ色というかアロエ色というか、個人タクシー色のセドリックを初めてみたときは、ビックリしたものだった。かの地では、車種に限らず個人タクシーのお約束のボディカラーらしいのだが、とてもセドリックに似合う色とは思えなかった。

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#CAR 想いでの車〜セドリック04

  父が乗っていたセドリックは、初代のタテ目と横目。マイナー前・後で両方乗っていた。もちろん、タテ目に乗り、次いで横目だ。東京オリンピックのあった翌年までは乗っていたはずなので、発売とオンタイムになる。
 初代についてちょっと調べてみたら、型式は30型。デビューは1960年4月(昭和35年)、とある。当初直4の1500ccで、同年11月には同じ直4で1900カスタム(1900cc)が発売になっている。当初1500ccだったのは、そのころの5ナンバー(小型乗用車)の排気量枠が1500ccまでだったから。1900への拡大は、同年9月の法改正(昭和35年7月20日運輸省令第30号 道路運送車両法施行規則の一部改正、2000ccまで)に応じたモノだ。このボディが、1500ccで満足できたとは思えない。
 話は逸れるが、長さ4.7メートル以内、幅1.7メートル以内という現在も受け継がれているボディサイズの規定は、一足はやい昭和33年4月1日から(施行、昭和32年6月1日運輸省令第18号 道路運送車両法施行規則の一部改正)だ。1961年9月にはマイナーチェンジがあった。
 横目は、1962年10月のビッグマイナーチェンジによるもの。1963年9月に再び小さなマイナーチェンジ、インパネ周りかなりモダンになり、グリルが細密になっている。1964年7月に3速ATが追加され、同年9月にまたまた小さなマイナーチェンジ。1965年10月にピニンファリーナデザインの130型へフルモデルチェンジし、2000ccと直6の時代に突入する・・というのが初代セドリックの簡単な歴史だ。
 さて、父が乗っていたのは、どの年式のどのグレードだったか、というのは、現在はハッキリしない。子供だった私にとって、セドリック、タテ目(前の)、横目(新しいの)、ウチの、ヨソの、くらいしか区別はなかったのだからしかたない。そのころ撮った写真が少し残っているので、いずれ物証として生かしたいとは思っている。
 では、どちらが好きだった、いやカッコよかったかと言うと、タテ目優勢だった。今の個人的尺度では、「ゴチック様式」のまとまりが感じられる。とくに尖ったテールランプやプレーンなトランクリッドとのコンビネーションが整合している。あるいは、フロントは欄間のようにニギヤカなグリル、リヤは無地の襖みたいで、じつに日本的。表と裏のわびさびがしっかりしているではないか、ともいおうか。
 ただし、横目のほうがクルマがワイドでより近代的に映っていたことは否めない。もちろん、ボディシェルのワイズ変更はなかった。
(再掲載。初出は、NOUVELLES DU CHEVALIER JAN 10,2005 です)

 

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#CAR 想いでの車〜セドリック03

 ここ数日、東京は朝に氷点下近い寒い日が続く。寒い朝で思い出すのが、セドリックとヤカンのコンビネーションだ。
 当時子供だった私は、そうそう早起きはできなかった(寝る子は育つ派?)ので、数回した見た記憶はないのだが、冷え込んだ早朝、父はよく湯を沸かしたヤカンを持ってガレージに向かっていた。向かった先は、セドリックの開けたボンネット。フロントのラジエターからエンジンヘッドあたりに湯をチョロチョロとかけるのである。
 そう、エンジンが冷え切っていて、なかなかかからないのである。なぜエンジンがかからないのか、なぜ湯をかけるとかかるようになるのか、子供の理解の範疇をこえた理屈だったが、とにかく温めないとイケナイ、温まらないと走れない、ということは理解できた。
 後年、RT40コロナに乗っているとき、冬は防寒のために古い毛布をボンネットの上に夜間掛けていた。それだけでかなり朝のエンジンスタートは楽だったらしい。そんな記憶があって、私は今でも冬に出先でパークするときは、できるだけフロントが南向き(あるいは北向きにならない)ような駐車位置を選んでしまう。
 さて、セドリックに話を戻すと、子供心に、ヤカンの水とエンジンの関係は、何かの古いフィルムで見たのを覚えていたと思うのだが、ラジエターからもうもうと湯気を吹き出してドライバーは大慌て、オーバーヒート・エンコしているクラシックカーのイメージだった。当時ピカピカの新車だったセドリックが、すわ!エンコ、オンボロクルマになってしまったか! と初めてヤカン&セドリックの光景を目の当たりにしたときに大騒ぎしていた、ような記憶もある。
 ようやくエンジンがかかって、キャブが落ちつきチョークが戻るまで、時間にして10分少々、父はコーヒーを飲んだり身支度したりしている。クルマは、暖気運転中だからエンジン音はかなり高い。が、それでウルサイと文句を言ってくるようなご近所ではなかった。なにしろ、クルマがある家は、ウチを含めて数件。ま、ウルサイけど冬の朝の風物詩のようだったのかもしれない。
(再掲載。初出は、NOUVELLES DU CHEVALIER JAN 9,2005 の投稿です)

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#CAR 想いでの車〜セドリック02

  ディテールの話が続く。初代セドリックで思い出すコトに、エンブレムの書体とデザインがある。時代が新しいセドリックのエンブレムは、「卯」のデフォルメみたいだが、初代は、○の中央を稲妻が縦に貫くようなデザインだった。
 このデザインが、じつはオペルのマークを90度回転したモノに似ていることを知ったのは、かなり長じてからで、とにかく子供の頃は実にカッコいいモノだと感じていたのを覚えている。確か金色で、フロントグリルの中央にデンと居座っていた。
 もうひとつ印象に残っているのは、フロントフェンダーとリヤトランクリッドに張り付いていた筆記体のバッチである。リヤトランクのは「Cedric」と書かれていたと思う。「Delux」が対になっていたような記憶もある。
 クルマの車名バッチは、大文字になったり小文字になったり、その時どき、デザイン上の理由などでコロコロ変わる。個人的には、どっちでもデザイン的によければイイと思っているが、筆記体の場合は小文字のほうが断然カッコいい。大文字で筆記体というのは、あまり見たことがない。その場合は花文字や創作ロゴになったりしている。
 そんなことは、どうでもいいので、とにかく「Cedric」のバッチが金属製(たぶんダイカストやアンチモニーなどの鋳物系であった)なのが、子供心にすばらしい宝物のように思えた。ヘッドのセドリックのエンブレムよりも上物だった。次に上物だったのはボンネット先端に付いていた2本のアローである。ジャガーの豹、ベンツのスリーポインテッド、R/Rの女の人などに並ぶ、クルマの象徴が、ソレだった。
 今、思い返してみると、あのアローはいったい何を象徴していたものなのか、サッパリ解らない。単なるボンネットを引き締めるための飾りで、たいした意味なんかなかったんじゃないだろうか。
 現代では、あんな金属むきだしで、角が尖っている衣服の端を引っかけそうなバッチを付けることは許されない。でも、当時、私はしょっちゅう手でバッチを触っていたが、ケガなんかしなかった。このトランクに付いた金属の塊で重々バッチが、やはり鉄でできているクルマと子供の私の大きな接点だった。確認原器とでもいおうか。
 なにしろ、ほかの部分、たとえばタイヤホイールやドアノブ、ヘッドライトやグリルは、クルマが動いたときやエンジンがかかった時、音が出たりなんだかんだで、不測の事故とかオドロキと隣合わせにあったものだから、大人の目を盗んで、ちょいと触ってみる、なんてことができなかったのだ。少なくともバッチは、安全圏だった。
(再掲載。初出は NOUVELLES DU CHEVALIER NOV 26,2004 です)

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#CAR 想いでの車〜セドリック01

  日産からフーガ(FUGA)が発売されて、同時にセドリックとグロリアの名前が消えた。正確には、タクシー仕様は継続するだろうから、自家用車から消えたということだ。
 私が、初めてクルマというものに接触したのが、セドリックからだ。初代、ヘッドライトが縦2灯式のセドリックだ。もちろん、まだまだ子供で、運転していたのは父である。
 というようないきさつがあるので、想いでのクルマ、クルマについての想いでを、そのつどアトランダムに書いていこうと思う。カテゴリにクルマがないので、とりあえず趣味にした。随想とか想いでというのもないが・・・。
 さて、鮮明に覚えていることのひとつが、初代セドリック独特のフロントの三角窓だ。フロントウインドがラウンドしているので、正しくは逆台形の三角窓である。当時の私が知る中では、セドリックしか国産車ではこんな三角窓はなかった(トヨタスタウトが同様だと知るのはずっと後のことである)。
 子供にとって、三角窓は、開放するとダイレクトに走行風が顔にあたり快適でスピード感も倍増することこの上ないのだが、こんなに操作しにくいモノもなかった。バリカンの片割れのようなノブと押し込むロックピンを同時に操作してなおかつ窓を外側に押し出さねばならない。小さな手に、大いに余る仕事だ。閉めるときも大仕事で、ロックピンの操作は不要だが、今度はウインドゴムの抵抗があるので、手前に引き寄せながらノブを起こしながらピタリと閉める。
 そのため、閉めるときに、ロック機構とウインドサッシュの間に指を挟むことがたびたびあった。もちろん、痛くて泣き叫んだ。
 三角窓の上下にあるヒンジを支点にして、ロックと反対側に手を添えて補助すれば、より閉める作業は楽になる・・・というのが、セドリックではかなり困難だった。というのも、逆台形のカタチだから、ロックと反対側はてこの原理を応用するには十分な長さが不足していたのだ。
 ソレ以前に、助手席住人の私としては、ロックが左手、右手でウインドを押し込むという連携動作が不可能に近かった。右利きだから、左手で複雑な動きをするのは、土台子供にはムリな話なのである。
 というわけで、セドリックと聞くと、まずこの想いでから蘇る。
 父は、昔気質の人で、今でも助手席のことを「助手台」と呼ぶ。クルマと言えば、まずトラックだった時代の名残である。
(再掲載。初出は、NOUVELLES DU CHEVALIER NOV 07,2004 の投稿です)

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はじめに

 NOUVELLES DU CHEVALIER で書き始めていた思い出話などは、こちらに移して進行することにしました。

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