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#CAR 想いでの車〜クラウン02

Rs4112代目クラウン。

ボクにとって、リアルタイムで見たり乗ったり、触れたりしたクラウンはこの世代から始まる。

先だって書いたように、初代クラウンは、ちょっとボクの年代では時期の古いクルマになってしまう。

子供心にも、初代と2代目でクラウンのルックスはずいぶん変化したことは一目で認識できた。

横並びの4灯式ヘッドライト、直線と平面で構成されたボディなど、グンと近代的にはなったものの、ボクにはどこか間延びして見えた。

さらに、ワイドで低くなったにもかかわらず、全体的にはクルマが腰高にも見えた。

おそらく、子供の目線では、ボディラインのハイライトの位置が高すぎたことが原因なのだろう。

大人になってから改めて見返すと、それほど腰高な印象はない。

さて、2代目クラウン。

ボクも父もこのクルマを常用しているオーナーは少なく、もっぱらタクシーやハイヤーなどでの乗車が多かった。

これも以前初代カローラからレンタカー普及率がグンと増えた気がすると書いたが、タクシーでは2代目クラウンからクラウンのタクシー率がグンと増えた印象がある。

歴史を紐解くと初代クラウン時代にはタクシー用としてデザイン違いのマスターがあり、2代目からはマスターもクラウンと同じデザインに統合されたということなので、さらに印象に拍車がかかったのかもしれない。

一方では、東京オリンピックを境にタクシーの台数が増えたとか、景気の上昇によってクラウンクラスの中型タクシーの比率が上がったとか、要因はいろいろありそうだ。

ともかく、2代目クラウンのころから、東京では、クラウンとセドリックがタクシー用車の2大ブランドとして本格的に定着したと思う。

子供心にクラウンに乗車したインプレッションは、まず、ガランとした広さの室内にオドロイタ。

天井はそれほど高くないが、特に横方向は、それまで乗った5ナンバー級の国産乗用車のどれよりも広かった。

もうひとつ大きく印象に残っているのがダッシュボードとメーター。

ダッシュは、すべてが横基調でデザインされアールがきいたカウンターのように見えた。

当時の電化製品も、こういったジェット機やロケットみたいなデザインに傾注していたから、当然の流れだったのだろう。

ラジオやグローブボックス、灰皿などがデザイン上スッキリと溶け込んでいて、言い換えれば、「何もない」である。

さらに、スピードメーターも横長の長方形で、針が水平移動するモノサシのような形態。

当時としては、相当モダンなダッシュまわりのデザインだったのだろうが、子供のボクから見ると、かなり材料や装飾をケチっただけにしか見えなかった。

高級なものは重厚感があり絢爛にいろいろなものが並ぶ、といった刷り込みが強かったのかもしれない。

ほとんどタクシーやハイヤーだから(特に距離も走っていただろうし、ドライバーの腕の差もあるし)、乗り心地に関しては、さほど良好とは思えなかった。

田舎道の大きなギャップでは、子供のボクでも体が跳ね上がって天井に頭を打ったことが何度もあった。

父と運転手との会話で、今も耳に残っているのが、父が尋ねた一言。

父:「クラウンは、ケツを振るだろう?」

運転手:「そうなんですよ、わだちがきつかったり、カーブをスピード出して曲がると」

父:「昔から、そうなんだよな」

リヤサスの横剛性が意外に低い(今はそんなことはないだろうが)と評価されるトヨタ車のルーツは、こんな昔からずっと引き継がれてきたのである。


2代目クラウンは、数回小変更やマイナーチェンジや変更を繰り返した。

外観的には、ボディラインなどの基本形はほとんど同じまま、フロントグリル中央の切りかきが徐々にワイドになり、リヤテールランプは初期は丸で後期は四画に変更する。

客待ちタクシーの列を見て父は、その外見上の違いで低年式・高年式を判断して、可能ならば高年式のクルマを選りだし、順番待ちなどで不可能だった場合は、低年式が当ったら乗り心地をあきらめ(距離を走っているから)、高年式が当ったらそれなりに喜んでいた。

この、ボディラインはほとんど同じだが、フロントやテールの違いは子供のボクにも一目で識別できた。

クルマのディテールの違いで、前期・後期を見分ける作業があるというのを覚えたのが、2代目クラウンからだった。

また、国産車が、たとえば初代セドリックがヘッドライトを縦から横に変化したほど大幅にではなく、小手先のディテールの変化でマイナーチェンジ等を行う流れも、この当時から本格的になった。そんな印象もある。


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#CAR 想いでの車〜クラウン01

1604519父が初代セドリックに乗っていた時代、セドリックのライバルはもちろんクラウンだった。

現在も(セドリックはフーガに変わったが)、そのライバル関係は変わっていないと思う。

ただし、当時は、スタイリングやデビュー年にり、セドリックが鮮度で少しリードしていた。

2台が道で並ぶと、やはりクラウンは古臭く見えた。

観音開きドアが初代のトレードマークであるものの、時代の流れからすれば「昔風」になる。

実際は、クラウンはセドリックよりも早くフルモデルチェンジしたので、ボクの記憶の中での父のセドリック時代に対するクラウンは、初代と2代目がクロスオーバーする。

思い出してみると、初代に乗った記憶はほとんど残っていない。

当時、父が乗るセドリック以外のクルマに乗るチャンスは、知り合いの限られたクルマかタクシーということになるが、タクシーは2代目登場とともに、初代の姿はまたたく間に消えてしまったような気がする。少なくとも、東京や大阪の街では。

ボクにとって初代クラウンで、もっとも見覚えがあるのは路上ではなくTV画面の中でだ。

なかでも印象が強く残っているのが、ドラマなどに登場するパトーカー。

アニメ「鉄人28」で登場したパトカーも初代クラウンではなかっただろうか。

と、書き進んだところで、実際のパトカーも初代クラウンを多く街で見かけた。

ナンのことはない、ボクにとってクラウンイコールパトカー、なのである。

と同時に、フェンダーにドンと据えられた釣鐘型の白いサイレンが初代クラウンのボディに見事にマッチしていたことも思い出した。

子供だったボクにとって、クラウンのパトカーはいかにも日本的なルックスを備えた「公務用車」以上でも以下でもなかったが、大人にとってはどんな存在だったのだろう? 

そんなワケで、初代クラウンにリアルタイムで乗った記憶は薄い。

唯一覚えているのは、観音開きのリヤドアは、それほど乗り降りにより有利と思わなかったこと。

また、シートに座ったその目の前でドアがバタンと閉まるのは、なんだか手や体が挟まれそうで(そんなことはありえないが)、無性に恐怖感を感じさせた。

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#CAR 想いでの車〜スバル360

Subaru_360_2スバル360にちゃんと乗ったのは、長じて、かなりフケてから。

思い出のクルマ、と書ける子供のころは、はたして長時間乗る(乗せられた)機会があったようななかったような。

どっちにしても我が家で所有したことも、父の運転する隣に乗った記憶もない。

ただし、昭和33年から10年間も製造された上、大きなモデルチェンジもなかったので、本当に街で出会う機会の多かったクルマだ。

今でも、現役、ディスプレー用、保管車などなど、360軽のなかでは遭遇率ナンバーワンだと思う。

子供心に覚えているスバル360は、初期型のデメキンの姿はほとんどなく、中期以降のレンゲの底にヘッドライトが付いているようなデザインになってからだ。

ただし、スバラシクきれいに手入れされたクルマは少なかった。

それだけ、日常的なアシとして使われていた証拠だ。

誰もがピカピカに磨いて、スバル360を大事にするようになったのは生産中止以降じゃないかと思いたくなるほど、昭和40年当時のスバル360には日々の生活を共にすごしているニオイがあった。

多少洗車をサボっているのはアタリマエ、リヤウインドのアクリルが曇ってチリメン状のヒビが入っているとか、テールレンズが白濁しはじめているとか、FRPのトップの色が変わり始めているとか、どこかブツけているとか(とくにリヤが多かった気がする)、とにかくさまざま。

FRPのトップをキャンバスに代えた「コンバーチブル」や、リヤサイドウインドがバタフライ式に下ヒンジで開くことができる「コマーシャル」、バンタイプでどこかVWタイプ2に通じるものがある「カスタム」は、子供心に面白いなぁと感じたものだ。

さて、スバル360の思い出で、強く残っているものは、小学校中学年か高学年のころの友人との思い出だ。

その友人の父が、当時スバルの販売代理店だった伊藤忠商事に勤めていた。

伊藤忠からスバルを買うと、ボディに立派なヨーロッパ家紋調のステッカーが威風を放って張られた時代だ。

友人の家に遊びに行ったところ、夕方彼の父が帰宅して、友人とボクを交えてスバル360のことをいろいろと話してくれた。

そのとき、セールス用だったろうか、一冊の図版が数多く載った小冊子を開いてスバル360の輸出仕様(450・マイア)のことや開発の歴史などを説いてくれた。

開発のときに参考にしたクルマには、代表して3台があったことが非常に印象的だった。

というのも、その頃の国産車は、たとえば日産はオースティン、いすゞはヒルマンという基礎となった技術があるか、あるいは先進的なアメ車やヨーロッパ車を参考にしたりコピーしたり、というのが主流だったからだ。

すると、スバルはカタチといいメカニズムといい、VWビートルかフィアット500ということになる。

しかし、小冊子には、両車ともスバル360と同様に空冷リヤエンジンによる合理的ななりたちの仲間、といった程度の扱いで、グローバルなセールスプロモーションの一役を買っているにすぎないのだ。

……子供のころの記憶だから、あまりアテにはならない……。

対して、参考にしたクルマは、シトロエン2CVとイセッタ、さらに名前を聞いたことも見たこともないクルマだった。

え? 何で?

2CVは大きさもずっと大きいし4ドアだ。

イセッタは、自動車というより軽というより屋根つきスクーターだ。

もう1台は、スバル360とは似ても似つかないごくフツーのカタチをした乗用車だ。

その3つを足して3で割るとスバル360になるのか?

……子供心にはどうにもこうにも解けない謎だった。

謎が謎のまま、帰宅しなければいけない時間になってしまっていた。

ボクは、友人の父が運転するR2(だったと思うのだが)に乗って家に戻った。


それからずっと、ボクにとってスバル360は、不思議な出生のクルマ、として心に刻まれてしまった。

しかも、最後のフツーの乗用車の名前がどうしても思い出せないことが、謎に拍車をかけた。


後年、大人になってから最後のクルマが西ドイツのロイト400だったことを知る。

そのころには、シトロエン2CVの徹底した合理性とすばらしい乗り心地、イセッタの卓越したマイクロカーとしての資質も知る。

ロイトは、360軽の規格よりも大きいボディだが、当時のマイクロカーとしては乗用に耐えられる資質と耐久性、信頼性、さらに発展性を持っていたことも学んだ。

スバル360は、独創性のカタマリのような成り立ちであり、かつ大成功を収めたクルマだ。

大人になってから関連書籍や実車、関係者の話を聞くにつれ、独自のアイデアやその秘話も知った。

その結果、挙げた3台のいいとこドリだけでスバル360が完成したワケではないことを知る。

たとえば、2CVは乗り心地は理想のひとつとしたが、ボディ構造もサスペンション形式(トレーリングアーム採用は同じだが)もほとんどスバル360への流用はない。そう、回顧した書籍には紹介されている。

クルマに限らず、設計・開発をスタートするときのアイデアの提供素材には、目先でカタチやコンセプトが似通っていることだけでなく、もっと広い視野で理想やターゲットを持つ必要がある。

パクっただけではダメなのだ。

もちろん、今ある現実からかけ離れるほどの理想も持ち合わせている必要も往々にしてある。

そんなアレコレを、時間をかけて教えてくれた1台。

ボクにとってのスバル360は、ソコが大きい。


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#CAR 想いでの車〜コンパーノ・スパイダー

Daihatsu_3コンパーノはダイハツが初めて本格的に手がけた普通乗用車/バンだ。

63~69年まで、一代限りで、後継はパブリカOEMのコンソルテとなってしまった。

デザインはイタリアのビニヤーレがバンを担当。

それをベースにセダン、スパイダーをダイハツが開発した、ということになっている。

スパイダーはコンパーノシリーズの殿で、2ドアセダンをドロップヘッドにしたような成り立ちの4シーターオープンだった。

だから、フロントウインドも高く、寝かされてもいないが、もともとコンパーノのボンネットは傾斜角があり、左右フェンダーラインもハッキリとしていたから、デザイン的には不自然さはなかった。

ちなみに、メーカーはコンパーノ・スパイーダーをスポーツカーとはうたっていない。

一方で、コンパーノ以外で、当時の国産メーカーでスポーツカーあるいはスペシャルティではなくセダンをドロップヘッドしたオープンを市販化したところはほとんどなかった気がする。

ダイハツは、このコンパーノスパイダー以外にもリーザ・スパイダーを作ったりコペンを作ったり、ホントに昔から希少で職人気質を大事に持ち続ける面白いメーカーだなぁ、と思う。

さて、コンパーノスパイダーは、やはり、当時も街で見かけることが少ないクルマだった。

そのコンパーノをボクが小学校低学年のときの友人の家で購入した。

けっこうリッチだった友人の家では、免許取得したばかりの奥様(友人の母)用のクルマとして買った。

女性で運転免許を持っていることは多くなく、しかも奥様専用車を取得して直後に買うというのも少ないご時勢の時代だ。

しかも、しかも出たばかりの真っ赤なオープン。

実情は、友人の家がダイハツと取引のある会社を営んでいたことが大きな理由、スパイダーを選んだのは、ダイハツでいちばん高価なクルマを購入するという条件もあったらしいが……真実は、子供だったボクにはよくわからない。

買ったはいいが、奥様が楽しんで乗ったのは初めのうちだけで、雨の日はホロによって視界は悪化するはガラスは曇るは、MTだから運転がメンドウだは、けっこう乗り心地は固いは、などなど理由をつけて、徐々に乗らなくなってしまった、ともあとから聞いた。

とくに、ホロ骨のツクリがイマイチで、クローズのセッティングがスムーズに行かないことが多く、また、きちんとかけたとしても、クルマがショックを受けたときの軋み音がひどかった、とも聞いた記憶がある。

きしみ音の原因がホロ骨そのものなのか、ドロップヘッドしたボディの剛性不足からなのか、ボクにはわからない。

どっちにしても、ホロ骨は友人の父の会社で、全面的にワンオフで作り直した、というような話も記憶に残っている。

ボクは数回、奥様運転のリヤシートに乗せてもらったことがある。

近距離のこともあったし、友人の家から1時間ほどかけて大阪中心部まで出かけたこともあった。

セダンよりも200ccアップの1000ccエンジンを与えられたスパイーダーは、奥様のクラッチワークとの相互作用でかなりの瞬発力を見せた。

うる覚えだが、スピードメーターは最高が160キロ/hまで書かれていたかと思う。

カタログデータでは、スパイダーの最高速は145/hだ。

友人は、

「140しか出ないのに160と書かれているのは、メーターには誤差があってたいがいは1割ほど多く出る。140の1割り増しやから約160ほどやろ、それでやねん。160や~! と喜んでも実際は140や。国産車はみんなそないな仕組みになってるねん」

阪神高速が1号環状線が開通し、名神高速が全通に向けて突貫工事を進めていた時代だ。

誤差の真偽も、実速140だがメーターは160を示すかどうか、父に試してほしいと頼みようにも無理なことだった。(後年にメーター誤差はホントにあるんだと知る)

ほかにもその友人からは、クルマに関して多くのことを教わった。

ボクにとって、友人と付き合いのあった3年間はクルマ第2の夜明け時代、ともいえる。

さて、話を戻して、奥様の運転でスパイダーに乗せてもらったときの大半は、オープンの状態だ。

オープンのままでも、大阪中心部では管理人やポーターがいるモータープールにクルマを預けるので、ホロは開けたままでも安心していられたようだ。

インプレッションとしては、やはり、乗り心地が固く、騒音が大きかったのを覚えている。

騒音はクルマのメカニズムからのものではなく、風きり音や周囲の町の音。

当時は、大型トラックが所狭しと並ぶ中を這いずり回るように走る、なんていうことがほとんどないほど道は空いていたが、やはり、周りを走るクルマの音が気になった。

「サイドウインドを上げると、少し静かになる」

といって、奥様と助手席に乗る友人はウインドを上げたが、リヤシートには何の影響もなかった。

リヤシートとはいえ、上空を見渡せ、体の半分以上が露出するオープンならではの乗車感覚は、特別だった。

フロントと異なって、体の向きや姿勢をある程度自分の思いどおりに変えられるリヤシートで、ボクは、公園の池などに浮かぶ手漕ぎボートに乗っているのと同じような感覚を味わった。

ただし、オープンはドライバーズでもパッセンジャーズでも、フロントに乗るべきモノだな、と深く子供心に刻んだ。


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#CAR 想いでの車〜ローレル04

0492幼馴染の乗っていたローレル話の続き。

悪路を走っても、ソフトで大きなうねりではグラッとはくるが、不快な突き上げなどはなく、「さすが、ヨンバラは違うな」という好印象を持った。

同時代のローレルと同じクラス、すなわちマークII、スカイライン、ブルーバードUなどに比べると、パワー面ではともかく、もっとも軽快に操れるクルマがローレルだった、と思う。

この幼馴染のローレルと前後してブルーバードUも体験したが、同じメーカーのクルマとは信じがたいほど荒く重ったるい印象だったのを覚えている(個体差だったか?)。

ブルーバードUはグラスエリアが小さく、インパネが大型化してドライバー側にグンとせり出していたことが、より助長していた。

くどいようだが、初代ローレルはホントに視界のいいクルマだった。

ダッシュは低く、その直前のワイパーからボンネット先端までスッキリと見通せた。リヤも同様、バックするときに、ホントに楽なクルマだった。

このクルマで、幼馴染とよく東京郊外のプチ林道コースを走りに行った。

ヤレたノーマルサスにコラム3速で、よくまぁ走ったものだと、今は感心する。

足回りは、そんな暴挙に耐えるすばらしいデキだったのだろう。

最低地上高も、実用上はカタログ値以上に余裕があったと思う。

そんなある日、雨上がりの林道走破中に、ぬかるみでスリップしてフロントを雑木林に突っ込んでしまった。

幸い2人とも怪我はなく、クルマも大破はしなかったが、左フロントコーナーがバンパーもろとも大きく凹んでしまった。

その結果、ホイールハウスが大きくへしゃげて内側に食い込んだフェンダーとタイヤが当たってしまい、ハンドルが切れなくなってしまった。

ほかにクルマなど通りそうもない人里離れた雑木林の中の林道。さぁ、どうする。

もちろん、当時はケイタイなどないから、その場でJAFを呼ぶことなどできない。

10分ぐらい、2人で考えた。

……結局、

フェンダーとタイヤの間に、車載のパンタジャッキをかませて支え、ぐりぐりとハンドルを回してジャッキが開く力でひしゃげて入り込んだフェンダーを何とか外側に押し戻したのである。

それで、何とかハンドルは切れるようになり、一目散で(再びクラッシュしないように注意しながら)その場を立ち去った。

そんな名誉のキズを負ったローレルは、車検が切れる時期が近かったこともあり、フェンダーも修理することなく幼馴染の元を去り、廃車されてしまった。

その数ヵ月後、幼馴染はラリーカーベースとして十分なスペックを備えた国産クーペを購入した。

ともかく、古いクルマでもキャブ事件のように原因は些細なこともありそれなりにメカを解っていて対処すればナンとか走れるし、万一何か起こってもフェンダー事件のように知恵を絞れば何とか急場をしのげるものだ、といろいろ教えてくれたクルマだった。

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#CAR 想いでの車〜ローレル03

0492_502からの続きである。

挙動4、とするには、やはりコラム3速のかったるさ、加えてハンドルのスロー感が増長している面もあった。

後年、510ブルーバードに乗る機会があったが、そのとき改めて初代ローレルのハンドルギヤ比がスローだったと思い起こしたものだ。

はたして、そのローレルの走行距離がどのくらいだったのかは覚えていない。

これまで書いてきたように、10年落ちなり(あるいはもっとそれ以上)に傷みのあったクルマだったが、ヤレたクルマ独特の鈍重感はなく、G型エンジンも軽快に回った。

ただ、マフラーはだいぶ腐ってきていたので排気音はちょっと高かったが。

G型エンジンは、L型4気筒とも、トヨタのKやTとも異なるフィーリングで、低速トルクはちょっと足りない感じだが下からの回り方がなめらかで、高回転でもそれほどラフにならない。ギヤ比の分散したコラム3速で、パーシャルから踏み込んでもそれなりにストレスなく回る、4気筒でありながら、どこか6気等のようなフィーリングも垣間見せる不思議なエンジンだった。

だからだろうか、マフラーは腐っていても、それなりの回転をキープしているときは、実に静かに走った。

吸気系は当然キャブ。

そのキャブがある日事件を起こした。

夏の日、出かけた先でエンジンをかけようとして、セルは回るがいっこうにエンジンスタートしないトラブルに巻き込まれた。

ディーラーだったかスタンドだったか、幼馴染がどこからかメカニックの人を連れてきてエンジンルームを見てもらった。

するとメカニックいわく「オーバーフローだね」

「???」2人とも「???」である。

キャブのトラブルとしてパーコレーションは知っていたが、オーバーフローという言葉はそのとき初めて聞いた。

メカニックは、ガラス張りのキャブフロート室を指差して、

「ほら、フロートより上にガソリンがいっちゃって、フロートが浸かっているでしょ。本来は、フロートがガソリンに浮いているのが正常なんですよ。こうなっちゃうとガソリンが濃くなりすぎてエンジンがかからない」

といいながら、フロート室のガラス窓を留めているネジを緩めて、ガソリンを排出した。

それで、フロートとガソリン量の関係は正常に戻り、何事もなかったようにエンジンがかかり、そのまま走って帰宅することができた。

その後、修理工場で見てもらったところ、フロートリンケージの変形があり、何かのきっかけでフロートがフロート室内に引っかかってしまっていたとのこと。

ところで、フロート室が外からチェックできるガラス張りというのは、このローレル以外にこれまで見た記憶がない。

いや、記憶違いでガラス張りはキャブ横の燃料フィルターで、キャブは点検口を開けたので中のフロートが見えたのであって……かなり記憶がごっちゃになっているのかもしれない。

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#CAR 想いでの車〜ローレル02

0492_4初代ローレルに、それなりに時間や距離を費やしてのることになったのは、デビューから10年以上を経た1980年前後だ。

幼馴染が免許を取得し、彼の父から「とりあえずコレでも乗っておれ」と渡されたのが、父の兄弟のところで不要になった初代ローレルセダンだったのだ。

デビューから10年、もともと初代ローレルは街で頻繁に見かけるクルマではなかったが、かなり珍しい存在にはなっていた。が、10年落ち中古車でも、そこそこの価格を付けられて売られていることもあった。程度がよければ、20~30万円していた例もあったと思う。

が、友人がもらったローレルは、そのままでは中古車で値段もつきそうにないほどボロだった。

エンジンは1800、グレードは正確に覚えていないがGLあたりの上級グレードだったと思う。

ボディカラーは、確か白(いや、赤だったか?)、内装はブラックだった。

いちばん印象に残っているのが、シフトがコラム3速MTだったことだ。

当時、すでに教習車でもフロア4速が主流、乗用車でコラムは営業車などに少し残っている程度だった。

初代ローレルがデビューした当時は、中型以上の乗用車でMTはコラムが高級・常識とされていた時代。

フロアシフトは、国産車ではスポーティ仕様か廉価車、どちらかというとトラックなどの営業用に近い前近代的な仕様と受け取られていた時代だ。

ただし、フロントシートはセパレートの2人乗りだった。

乗ってみると、スタイリングから受けた印象どおりに室内は明るくルーミーで、視界も180度開けて見通しがよかった。

内装は、ドアなども含めてフルトリム。

だが、セドリックほど王朝趣味ではなく、同世代のマークIIに比べてもシンプルに映った。

とくにインパネは、部分的に木目プリントが使われ、装備はそろっていたものの合理的にまとまられ、ややシンプル寄り。

個人的には、スタイリング同様にインテリアも好みだった。

10年落ちのローレルは、デビュー当時の上品さは保っていたものの、ボディのコンディションは無残で、フロントバンパーは凹みがありリヤフェンダーのバンパー下は腐食して下端1/3くらいは消失していた。

そのほかにも、テールレンズは白濁しかけていたし、ホイールキャップも1枚が揃っていなかった。

インテリアも、シートはクッションが落ち込み、レザーと布地の境目にほつれがあったりもした。

そんなだから、足回りもショックなどは新車から無交換だったのだろう。

乗り心地は、ものすごくソフトになっていた(というか、感じた)。

スタイリングから受けるシャープさを10とするならば、クルマの挙動のシャープさは4くらいのレベルだった。

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#CAR 想いでの車〜ローレル01

0492_3初代ローレルのデビュー時、ボクは少なからずショックを受けた。

理由の大半、いやほとんどがそのスタイリング。

それまでの国産車から、2ステップ、いや3ステップぐらい、グンと近代的で外車にも負けない、すばらしいデザインに映った。

ローレルは、モデルチェンジを繰り返し8代目まで続くが、そのなかで初代のスタイリングが最高だと、昔も今も思っている。

2番は2代目のハードトップ。

それ以外は、あと一歩のところで、マイグッドデザインには及ばない。

さて、初代だが、大義で見たスタイリングそのものは、ごくごくまっとうな直線基調の4ドアセダン。

言い換えれば、あまりアソビらしきものも、躍動も、虚飾などは少ない。

510ブルーバードのデザインスタディ、パイロットとして初代ローレルがデザインされ、実用的な(というか販売上やコストのこともあったと思うが)レベルにサイズダウンジングして510につながった、という説もある。

実際、ボディラインなどの簡素感やディテールの詰めでは510のほうが手が入っている感じもする。

説の真偽はともかく、ローレルのほうが「四角いセダン」としては、ずっとピュアだ。

だから、実寸よりも大きく見せようとか、車格よりもワンランク上に見せようという、「いやしさ」がない。

そこが、いい。そうまだ小学生だったボクのハートに刺さった。

ボディサイズも、余計な演出をほどこす必要がないベストバランスだったのだろう。

すっきりとしたボディライン、見通しもよくキャビンも明るい大きなグラスエリア。

そういったスタイリングのセダンでは、BMW2002、アルフェッタ、アウディ80、114ベンツなどと並ぶ白眉。

とにかく、「品のよさ」では当時の国産車のマイベストな1台だった。

父も気に入っていたが、当時は日産ディーラーと付き合いが薄かったこと、またローレル以前の日産車(410ブルーバードや210サニーなど)が、父的には評価が低く、結局購入には結びつかなかった。

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#CAR 想いでの車〜カローラ03

Photo初代デビューから40年を経て、最近触れ合う機会があった。

グレードは、スペシャル。初代の初期はスタンダードとデラックスの2グレードだけだと思っていたら、その中間としてスペシャルが後から追加されたらしい。装備などの印象としては、デラックスを基本にモール類などを少し省いた感じだ。

当時のスタンダードは、カローラに限らずホントに基本的、装備も素っ気無いもので、ラジオ、内側のドアハンドルなどが省かれたとにかく「安価」を信条にこさえたような内容。今の軽のビジネス仕様みたいなもんである。

さて、そのときの印象第2弾。「小さい」。

とにかく小さい。

このころのクルマの特徴である、前後長に加えて全幅も抑えられたデザインが小ささをより助長していた。再び今のクルマを持ち出せば、コンパクトクラスだから全長は4メーターそこそこだが全幅は5ナンバー枠いっぱいで2リッターミニバンと同じ1690ミリほど、などということはなく、小型車は長さも幅も小型、というルールに則って造られていたのである。

外観もインテリアも、小ささのバランスを崩さず、全体にこじんまりしているのも印象的だった。

実際に、ほんの少しだが乗ってみた。

その印象をひとことで言い表すならば、「やさしい」である。K型エンジンも荒々しい音はほどんど立てず、ゆるやかに回ってクルマを走らせる。

セダンの後に、スポーティなクーペ、スプリンターをトヨタは出すが、出した意味がセダンに乗ってみて何となくわかった。

一方で、サニーがなぜ先陣を切って発売されたのにもかかわらずカローラの後塵を拝する結果になったのか、また後の初代シビックの存在感や初代ゴルフの存在感、その意味まで理解できたような気がする。

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#CAR 想いでの車〜カローラ02の続き

PhotoSeptember 01, 2007 の投稿の続き。


友人の家の実家で乗っていたのは、初期型のデラックス、フロアMT車だった。

ボディカラーはお約束の白。内装は、おしゃれな赤。

おしゃれとは言っても内装はフルトリムではなく、ドアの上部やリヤホイールハウス、インパネなどは鉄板むき出し。

当時、デラックスクラスのカローラセダン(30世代だったと思う)でさえインパネはコンソールが完備していたので、その初代カローラは、内装の組み合わせはカラフルでも、正直言って貧相に思えた。

今、そのクルマを見たら、レトロで旧車らしい味わいフル満載、といった印象でボクは好感を持って接するだろう。

インパネとボディカラーが同じ、というのが『クーペフィアットなどのイタ車っぽくて』いかにもおしゃれだ! と言うに違いない。

約10年落ち、のその初代カローラは、走行2万キロにも達していなかった。

低年式だが、少走行の極上中古車である。しかし、下取りは幾らもつかない。

さらに、実際乗ってみると、やはり国産車の10年間の進歩のスゴサを実感させられた。

つまり、パワステではないし、ブレーキも効きはプア、エアコンはない、高速ではふらふらする……などなど、欠点ばかりが目立ってしまうのである。友人の実家が愛息のために放出・買い替えを考えるのも当然、と感じた。

一方で、室内は想像していた以上に明るく、ルーミーだった。リヤシートはちょっと窮屈だが、フロントは大人2人でも息苦しさはない。

シートのバックレストが低いことも効果的だった。

さらに、感心したのが、フロント/リヤシートがフルフラットにできたことだ。

ただし、完全なフラットではない。

どういうことかというと、フラットにする手順を紹介すれば、理解できると思う。

まず、フロントシートはセパレートで、左右ともスライディングとリクライニングができる。

フロントシートを最前までスライドして、フルリクライニングしても、バックレストの上側がリヤシートクッションの上に乗っかるカタチになるので、フルフラットにはならない。これは現在の多くのセダンと同様だ。

では、どうするか?

リヤシートバックレストにその仕掛けがある。

リヤシートバックレストは上ヒンジで固定されていて、バックレスト下端を持ち上げると、跳ね上げることができる。

水平くらいに跳ね上げ、その下に、リクライニングしたフロントシートバックレスト上部をもぐりこませる。

リヤシートバックレスト下端の内側は、フロントシートバックレストの上部とぴったり合うようにアールが付けられているので、フロントシートバックレスト上部に、ウマイ具合に乗っけることができるのである。

つまり、リヤシートバックレストと連結して、長~いフロントシートバックレストのできあがり。これが、「フルフラット」だ。

当然、リヤシートバックレストのヒンジ部分とフロントシートリクライニングのヒンジ部分に真っ直ぐになるように両シートの角度を調整しないと、フラットな長~いバックレストにはならない。

つまり、フルフラットとはいえ、実際は少し起き上がった「フルフラット」だ。

数年前の、ビジネスクラスの座席程度、と表現すればよいだろうか。新幹線のグリーン車以上は倒れるが。

感心はしたが、実際にやってみるとけっこうな手間と労力を要し、友人とフルフラットをトライしたのは一度きりだった。

この、初代カローラと同様の方式のフルフラットはヨーロッパでも採用した例があり、ルノー17あたりがそうではなかったか。ルノーはトランクスルーもあったかもしれないが、カローラはトランクスルーではなかったと思う。

話は少しソレるが、デビュー当初のいすゞフローリアンは、フロントシートとリヤシートクッションがフラットにつながるフルフラットを売り物にしていた、と記憶する。

さて、結局友人家は、早々にカローラを下取りに出し、トヨタの中型セダンを買った。

下取り価格は、値引き分を上乗せで5~10万円ほどではなかったかと記憶する。

もし、あのとき、ボクに余裕があって、それと同額で譲ってもらえたとしたら……譲ってもらう可能性はフィフティ・フィフティだ。

やはり、メカニズム的な時代遅れ感とクーラーなしは、乗るにはつらかった。

初代カローラは大ヒットし、続く2代目、3代目が時代の要請に応じてブラッシュアップ&高性能、高機能化してベストセラーを続けた理由が、納得できる。

……今なら……事情が許せば、持って大事にしたい1台、自信を持ってそう言えるだろう。


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#CAR 想いでの車〜カローラ02

Photo初代カローラには、セダンのほかにバンとクーペ(スプリンター)もラインアップにあった。

セダンと同様に、バンも「白いカローラ」の印象が強い。商用車に白が好まれ多いのは現在も同じだが、初代カローラ以前は、商用車=白という圧倒的な常識は薄かったと思う。

もっと原色の目立つ色、ボディペインティング、あるいは汚れ目が着きにくい空色やネズミ色、オリーブなどの地味な色が多かったと思う。

ともかく、カローラバンに白は良く似合った。ボディラインに曲面が多用され全体に柔らかく、あまりビジネスライクな道具感が薄かったから。極端な表現をすれば、陶器のような印象があったから、今そう思える。

そんな陶器感は、セダンでも同じだった。

とはいえ、ウチと初代カローラはなかなか縁がなかった。

カローラを実用として使い始めるのは、2代目のバンからである。

初代と、あるていど親密な縁を結んだのは、デビューから10年以上経てからになる。

中学時代からの友人が免許を取得し、彼の実家で「息子が乗るにはあまりに古すぎるから買い換えよう」と放出候補の矢面に立ったのが、当時新車で購入したという初代カローラデラックスだった。

(この項、続く)


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