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#CAR 想いでの車〜ブルーバード(1)

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東京オリンピック直前の路上情景を復元するとしたら、この初代ブルーバードと初代クラウン、ルノー4CV、普通ナンバーのオート三輪は欠かせない存在だろうと自信を持って言えるほど、初代ブルーバードはしょっちゅう見たというか無意識のうちに頭に刷り込まれてしまったクルマで、もう少し考えてみるとブルーバード、クラウン、ルノーの3台はいずれもタクシーに使われる多数派であったがゆえに覚えているわけで、オート三輪もトラックの代表的な車種だったということになるのだが、もちろんタクシーもトラックもほかに多種多様なクルマが存在していたのだが、結局いずれもルックスというかアイコンが強いがゆえに記憶に強くとどまっているのだろうと思う。

それ以上にボクの記憶に強く残っている原因が、父がベタほめしてたことも大きかった。当時セドリックに乗ってた父に「個人で乗るならカキノタネがいちばん」と言わせしめたクルマで、ことあるごとに他人に勧めていた。そんな刷り込みもボクには大きい。

一方で、主にそのルーフの形から石鹸箱という呼び方もしていた。スタイリングに関しては、時代遅れで面白みに欠けるといった意味がこめられている。

当時父は日産にクルマのパーツや工場の専用工具を収める商社に勤めていた。ひいきの引き倒しのようにも思えるが、グローバルな目で見ても初代ブルーバードは「良品」「良車」であったのだろう。確かに、ルーツに小型セダンのお手本のようなオースティンA50があるし、ダットサンとしても210を経てこのブルーバードで自社製品、国産車としてひとつの完成形に至った感がある。

とにかく、マジメに質も実も、そしてほどよく造ったらこうなった、というクルマなのだ。父の評価は。

後継の410ブルーバードは、メカニズム的なことは別にしてルックス的には遊びが過ぎたのだろうか、初代が中古となってからは父の評価は益々上がった。

ブルーバードが現役のときも、そして中古となってからもあまり乗った記憶はない。乗るとしたら大半はタクシーだったのだろうが、ボクが子供のころはどういうわけか住んでいた地域に小型タクシーの姿は少なく、しかも家族は選ってまでして中型に乗るのを好むので縁遠かったのである。わずかに、たまたま流しの多摩ナンバーのタクシーなどに路上で遭遇して乗る機会があったくらいだ。

多摩ナンバーは小型が多かったし、都内ナンバーのブルーバードのタクシーは個人が多かったように覚えている。購入価格や維持費、ガレージの都合そして個人営業なりの割安感をメリットとして考えるとベターなチョイスだったのだろう。もちろん、商売の道具だから信頼性やメンテナンスの利便性なども重視されていたはず、と思う。

改めて。ブルーバードへの支持の基は、小型セダンの「典型」ゆえである。そこそこの乗り降りしやすい車高、丸いヘッドライトとバランスのよい独立したフロントグリル、セダンとして必須の4枚ドア、大きすぎず小さすぎずほどよくまとまったすべてのウインドウ、存在感のあるトランク、位置が高く視認性もよくトランク開口部を殺がないテールランプ、しっかりした大きさのバンパー。そして、必要にして十分なモールやメッキパーツの量。全体に無駄がないのである。コストを削ったことによる不自然な空白や価値を高めんがためのこれ見よがしの無意味な虚飾もない。

と、大上段に立ったようなコトを言っているが、頭に乗って続けてしまうと、ノスタルジーに昭和30年ころのクルマ、モータリゼーションの開花前後のクルマ、いわゆる旧車について語られるときにこの初代ブルーバードが話のトップに来ることがない気がするのはナゼカ、と考えてみると、これまたくどいのだが、「実」はあっても「華」についての要素が少ないからであって、実のところ4ドアセダンに加えてバン/ワゴン、トラック(ダットサントラック)と多彩なバリエーション展開で小型国産車の底支えをした功労者であることは間違いないのであって、後に、同じ日産ではマイカーブームをサニーが、高性能モデルは3代目ブルーバードのSSSやスカイラインGTが話題や注目度をさらってしまっただけのことであり、イギリス人が常にモーリスマイナーに抱くのと同様の郷愁を初代ブルーバードに抱いてもいい気がする。それほど、初代ブルーバードのつつましやかな性能や容姿は日本人の琴線に触れるのである。

と、大上段は終わり。

もちろん、ブルーバードはファミリーカーとしての座も確保していて、ボクが最後の現役を見た自家ガレージに納まっている姿は、当時住んでいた自宅から歩いてものの1分と離れていない上級生の家の最終型だった。巷にはすでに三代目が走っていたころの話だ。

ボディカラーは濃紺。

タクシーはアイボリーや薄い水色が多かったが、自家用は白系に加えてこの濃紺も多かったように思う。純粋に「自家用車」だったのだろう、曜日を問わずほとんど車庫の中にブルーバードはいた。ガレージは戸建ての玄関脇に専用の門がしつらえられていて、間口は一間ほどでちょうどクルマが出入りできるほどのサイズ。角材の門柱と背丈1メートル半ほどの観音開きの木戸が備わっていたと思うが、ほとんど開けっぱなしで、ブルーバードがそこから少し鼻を突き出していた。

上級生は女子でクルマのことなど興味はなかったようで、ほとんどブルーバードに関しての話を交わした記憶はない。そんな中、聞き出せたのは家で免許を持っているのは父だけで、そのクルマはまだ現行だった時代に中古で新車の約7割ほどの価格で購入したそうである。

父君は、上級公務員か、大学教授だったか、とにかくお堅い職業に就いていた。また、彼女には兄がいて、成人して免許をとるようになったらブルーバードを止めてほかのクルマに乗り換えるらしい、とも聞いた。とはいえ、それから数年間、兄が成人してからもしばらくはガレージの不動の主を続けていた。結局、このブルーバードは、彼女の家ではあまり活躍の場を与えられなかったかもしれない。

あるときは、こんな話も聞いた。

ある朝、父君だったか兄だったかがブルーバードで出かけようとしたところ、バッテリーが弱っており仕方なくクランクがけしてエンジンをかけた、というのである。いや、時間軸からして父君だ。

そういえば、ブルーバードはフロントバンパーの真ん中の上のほうに日産マークに似たカタチの穴が、控えめに開いている。ここからクランクがけの棒をつっこむのである。

お堅い宮仕え(失礼!)の父君にとって、すわ鎌倉!といったときにでも、手は汚れるものの確実に自力でエンジンを目覚めさせることができる初代ブルーバードは、もっとも信頼に足る「良車」だったのであろう。


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#CAR 想いでの車〜キャロル

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このクルマは、我が家では「ヒュルヒュル」と呼ばれていた。おどろおどろしい意味の「ひゅるひゅる」ではなく、軽い感じの擬音、ヒュルヒュルである。つまり、このクルマはいつもヒュルヒュルという音とともに現れ、ヒュルヒュルという音とともに走り去っていったのだ。

クルマのオーナーは、隣家の主たっちゃんだった。だから、「このクルマ」ではなく「そのクルマ」が正しいのかもしれない。知れない、というのは、個体差なのかキャロル特有の音だったのかが判然としないからだ。

この文を書く前にwikipediaでキャロルについて調べてみた。「エンジン駆動の強制冷却ファンによって側面から冷却気を導入する。このファンの音も初代キャロルの特徴のひとつとなっている。 」の一文がある。ヒュルヒュル音の正体がそれなのか、それともこの個体だけファンベルトか何かがユルくて音を発していたのか。

それはともあれ、ヒュルヒュルという軽い音とキャロルのちょっと華奢なイメージのボディとが妙にマッチしていた。

今のトールボーイ全盛の軽とは異なって、当時の軽セダンはどれも総じて背丈が低かった。キャロルもそうだ。軽のサイズでクルマらしく見えるプロポーション的バランスや重量のことなど考えると当然の帰結なのだろう。

そんな中、キャロルは軽では珍しい4ドアボディだった。2ドアもあったらしいが、路上ではほとんど見かけた記憶がない。4枚ともちゃんと巻き上げウインドで三角窓も備えている。だから、ドア1枚単位で考えると、立派なスペックなのだが実際に見るとけっこうミニチュアの世界にある。子供心にも、「ちいちゃい」と感じた。

そのころ我が家で乗っていたコロナのドアに比べれば、お屋敷の塀の勝手口、玄関ではなく庭へ入る門。そんな雰囲気だった。特にリヤドアは、薄い上にクリフカットとエンジンルームのサイドルーバーとの視覚効果で、何となく、バラの植え込みのある庭へ入る白く塗装された鉄格子の小さな門扉を彷彿させた。

ボディが、白にピンクのツートンだったことが大きいかもしれない。たっちゃんのキャロルは、フロントをぐるっと囲むトリミングモールが追加された後期型だったと思う。

たっちゃんのキャロルは、デイリーユースの高速ランナーだった。というのもたっちゃんは道路公団の職員で、毎日名神高速の豊中インターから茨城インターまでキャロルで通勤していたのである。その副産物としてキャロルの車内には大量の未清算通行券があった。というより散乱していた。

その理由はこうだ。往路ではインターの料金所で通行券を受け取るものの茨城インターでは料金所手前の事務室へ入るので清算することがない。帰路に関しては職員用通行証のようなものがあって通行券なしで料金所を出る。確かそんなシステムだったと思う。当時の通行券は、パンチカード式で普通の封筒くらいのサイズだった。

もうひとつ、ヒュルヒュルの思い出は、たっちゃんは中古で購入したときに、車検のタイミングだったのか名義変更の手続きの事情だったか、これも正確に覚えていないのだが、しばらく仮ナンバーで走っていたことだ。業者が回送用に使える「臨時ナンバー」というやつだった。そういうモノがあるというのをヒュルヒュルを通じて知った。

今考えると、360ccのキャロルがほとんど毎日臨時ナンバーで高速をフリーパスで走っていた、というのは何ともスゴイといえる話だ。

白いボディにピンクのルーフのキャロルが、出来て間もない名神高速を疾走する姿は、微笑ましいものだったのか、ちょっと悲惨さも含めた中にガンバリのある凛々しいものだったのか、それとも・・・目の当たりにしていないので何とも言えないが、クリフカットでちょっと尻下がりのリヤビューは絶対にカワイかったに違いない。

ヒュルヒュルに乗せてもらったのは、覚えている限りでは数回、ほんの近所までだったと思う。前述したように、毎日通勤で使用しているし、当時、夜にクルマで買い物とかお出かけなどといっても開いてる店などない郊外ではどこへも行きようがなかったからだ。

それゆえ、キャロルに関してのインプレッションはほとんどない。覚えているのは、子供でもかなりキツイ後席。バラ園の門たるリヤドアはアリバイ工作のための存在である。大型のアメ車のスタイリングテイストをぐぐっと縮小したボディデザイン、オシャレなツートンカラー、いっぱいあるモール類やサッシュなどなど・・・なんだか乗り込むとオママゴトの世界に踏み込んでしまったようなクルマ、それがキャロルの総合的な感想だ。だから、「バラ園」なのである。

当時から、つるバラのアーチのあるガレージに置いていおくのにもっとも似合う軽だと位置づけていた。

たっちゃんは、新婚夫婦感に赤ちゃんが生まれたこともあって、軽なれど4ドアのキャロルを選択したのだと言っていた。ほどなくして、奥さんとちっちゃな赤ちゃんが病院から帰宅した。リヤシートに収まるちょっと大空真弓に似た奥さんと抱かれた赤ちゃんと、ピンクのルーフのキャロルは、とても微笑ましいコントラストを見せていた。

その前後に、ナンバーは本ナンバーに替わり、同時に工場で整備してもらったということで、ヒュルヒュル音も消えていた。次は、高速でふらつきやすいからタイヤか足回りかなぁ、とたっちゃんは計画していたようだが、その計画が実行される前に、またヒュルヒュルという音が前より小さいもののしだした、と照れ笑いしながらこぼしていた。


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